えん

およそ10年前、私が小学校2年生か3年生だったかの時、学校帰りにある家の前を通りました。友だちと後で遊ぶ約束をして別れ、1人になって歩き出して少ししたほどにあった家の郵便ポストの前に、1人の中学生が立っていました。来ていた体操服のラインの色を見て、兄の同級生だと分かりました。私が歩いて横を通るのをじっと見つめてきて、通り過ぎた後から「ちょっといいかな」と声をかけられました。私が反応するより前に背後から両腕が伸びてきて、体を触られました。突然のことに思考が完全に止まったのを覚えています。ようやく逃げなきゃと思えたのは、胸から胴にかけてをまさぐっていた男の手が股間に移ろうとした時でした。私よりうんと背の高い檻から抜け出そうともがくと、逃さないように私のランドセルを掴んで握りしめるのが分かりました。それでも必死にもがいて、ようやく抜け出せた瞬間に、私は勢いよく走って逃げました。私の家は同じ大通りの、1つ隣のブロックにありました。振り返ることなく走ってもうすぐで家に着くという時、もし男が追いかけて来ていたらどうしよう?と思い怖くなりました。玄関の階段を勢いよくのぼりつめて、扉を開けようとすると鍵がかかっていてパニックになりました。それでも後ろを振り向いて確認することが出来なくて、半ば暴れるように鍵を開けました。そこでようやく道路を見て、誰もいないと確認するや否や家に入って扉の鍵を閉めました。家には兄が既に中学校から帰ってきていて、でも兄以外には誰もいませんでした。痴漢してきた男と同じ体操服を着ている兄を見て、どうしたらいいか分からず「ただいま」とだけ言って母の布団に潜り込みました。少しして、ダイニングにいた兄が自分の部屋に上がっていく音を聞いて、それからまたしばらくしてから母の布団から抜け出し、友だちと遊ぶために家を出ました。集合場所の公園に行く時、いつも通っていたその男の家の前を避けるために、違う道を選んで、なるべく遠回りをして行きました。それからはいつも違う道を選びました。通学路でもあったので、通学時間には随所にPTAの人が児童が違う道を通らないように立っていて、その時だけ仕方なくその家の前を通りました。顔をあげないようにして、学帽をなるべく深く被って、早歩きで通りました。ランドセルに付けていたキーホルダーも外しました。母と車に乗ってその家の前を通る時も、いつも見ないようにしていました。母にも、誰にもこの話をしたことはありません。当時は言っていい事なのか分からなかったし、今はこんな昔の話をしていいのか、なんと言われるのかが分からず怖くて出来ません。加害者が誰なのかはっきりと分かっているからこそ、信じてもらえるかが分からないのです。
昨年、兄が就職し家を出た時、ようやく1人でその家の前を通ることが出来ました。当時あった自転車はもう無くなっていて、外装も数年前に塗り替えられました。当時の記憶に常に怯えて生きている訳ではありませんが、それでも、私だけがあの記憶の中に1人取り残されているように感じます。